[メール]が悪く言われるにはそれなりの訳がある。

□ そもそもメールは悪く言われている

 メールとはネットを利用して文章や画像を一から一へ、または一から多人数へと送信するツールです。


 最近では、容量がバカでかい Gmailhotmailなどのウェブサイトサービスのフリーメールが主流となり、女子高生の間ではプチメやデコメが流行っています。

 ところが、メールでは掲示板やブログより劣っている、使えないと言われています。それはナレッジマネジメント系のブログである「how to save world」で「メールを使ってはいけない時」や、ナレッジ!?情報共有・・・永遠の課題への挑戦さんのメールを使ってはいけない10個の場面で、こう指摘しているからです。
 

メールを使ってはいけない10の時
  1. 悪いニュース、苦情または批評を伝える時
  2. 曖昧な情報や複雑を情報を探す(求める)時
  3. 承認を求めているとき(複雑な議論のあるものに)
  4. 数名に複雑な指示をするとき
  5. 長文ドキュメントにコメントを求めているとき
  6. 定期的に繰り返しグループから情報を要求する時
  7. 指示を多くの人々に伝える時
  8. コンセンサスを達成したいとき
  9. イデアや議題を探索する時
  10. ニュース、おもしろいドキュメント、リンク、方針、ディレクトリ最新版、および他の'FYI'ものを送るために

 
 まとめますと、メールは、自分で登録したメンバーにしかメールを送れず、加えて、多人数同士で交流ができず、ネット上の会議場として使えない。そのため、いっぺんに大人数の情報が共有できないということです。
 
 My Image Ltd.さんのメールを上手に使う、今すぐできる3つのポイントでは、メールで議論はできないメールで大勢に依頼はできないメールでは情報や知恵は成長しない と書いています。
 
 それもそうですね。メールはあくまで連絡手段であり、そこから情報を開拓していくことや整理をしていくことはあまりしません。アイデアを探索するときは、yahoo!googleのようなポータルサイトからをぐぐりますし、ニュースやドキュメントを探すのは、ニュースサイトやブログサイトからもらうのが主流です。(2,9,10)

 それと、自分から情報を提示するときはブログやはてなで書き込めば、多くのネットユーザーがコメントやブックマークしてくれて、その情報はためになると支持し、自分の持つ情報の質が高められて、自信になります。写メもメールではなく、ブログにアップするコも多くなりました。
 そのためには、遥か彼方の彼方からさんのコメントやトラバをされるために出来る簡単なことにもあるように、誰かのブログにコメントを書くようにしましょう。間違っていれば、指摘してくれますし、ここよかったよ、と、コメントをもらえます。(1,3,6,8)
 
 そう考えるとメールはなんだか不憫です。
 

□ 更なる追い討ち

 
 かなり、悪く言われている電子メール。更に追い討ちをかけるように、ニュースサイトのCNETJapanでは「電子メールに未来はない」--米国のウェブ専門家らが指摘という記事でダメだしを言っています。
 

Technoratiの元社員で現在はGoogleのエンジニアであるKevin Marks氏はこう語る。

「電子メールは、一部のユーザーの間ではすでに過去の物となっている。より若い世代のユーザーは、電子メールなど使わない」
「彼らは電子メールについて、受信トレイを埋め尽くす煩わしいスパムに日々悩まされるというイメージを持っている」
「彼らは、電子メールはあくまで大学や銀行への通信手段と考えている」
 

 他にも、電子メール以外の方法で通信手段を模索しているなどとも言っています。

□ ホントに電子メールは使えない?

 私、個人といたしましても電子メールは色んなのウェブサービスを受けるための通行手形みたいなもので、電子メール自体に期待していることはないというのが本音です。
 メルマガもRSSを使えばすみますし、ピコンと鳴るメッセンジャーが呼びかけるメールのほとんどはアフィリエイトサイトやポイントサイトからのものが多いです。連絡事項とポイントだけ受け取れば、後はもうどうでもいいです。というより、それしかありません。

□ 電子メールは時代と逆行してる

 ここまで悪く言われる電子メール、自分で登録したメンバーにしかメールを送れず、加えて、多人数同士で交流ができないのが問題です。
 それに、親元であるウェブサービス元にメールを送るわけにも行かず、サービス元から連絡事項を送りつけられるだけの受信箱となっているのが現状と言えます。
 
 そもそも、親である送信者と子である受信者が同等なわけありません。情報を操作する側にいる送信者が優先に立っていることは間違いありません。情報の信憑性を確かめる術は親に聞くしかありませんし、受信者同士のアドレスが知らなければ、その情報の整合性を確かめるのは難しいと言えます。
 しかも、送信者が親であり続けるかぎり、情報は交流することができず、情報の飛躍はできないかと考えられます。まさにメールで使ってはいけない10のときの項目にあてはまります。
 
 そんなところで情報をやりとりしても意味がありません。送信者の思うがままの閉じた世界と言えます。
 
 My Life Between Silicon Valley and Japanさんの グーグルに淘汰されない知的生産術 の一番下にある 万人に開かれた時代 にある考え方と逆行しています。
 
 送信者が親であり続けるのならば、受信者は文章を書くことを許されず、知の共同作業ができない。しかも、他のヒトが自由に参加できないのだから、新たな知的生産に繋げることは不可能と考えられます。

□ でも一番の問題児はスパムメール

 メールは使えないと書いてきましたがやはり決定的なのはスパムメール。私のメールボックススパムメールでいっぱいになっています。
 
 スパムがうざい。だから、使わない。使うのならもっと他のものを使う。と、なるわけです。
 
 自分の知らないところから勝手にメールが送りつけられるですから、うざいという心理作用が起こってもしかたありません。スパムが迷惑だからメールが使えないと連想される。これがメールが悪く思われる理由です。

□ マイナスだらけのメールに未来はあるのか?

 問題点をさっと洗い出しましたが、メールにはまだまだ問題点があると言えます。
 とりあえず、このメール=スパムというマイナスのイメージをなくし、メールをプラスイメージへと変化できるものを探っていきたい、と思います。それが今回書くネット小説のテーマです。