“心の闇”の正体 【秋葉原無差別殺傷事件】

心の闇とは?

 マスメディアが凶悪事件で使われる犯人の心や動機を把握できないときに使われるマスコミが作り上げた言葉である。

 心の闇の経緯

 朝日新聞の見出しデータベースで調べてみたところ、「1997年6月30日の特集記事「14歳『心の闇』」から。6月30日は、神戸の連続児童殺傷事件の犯人が逮捕された翌日で、それ以前には一度として「心の闇」という言葉は見出しには使われていない。
 どうやら、「心の闇」という言葉は、朝日新聞の特集記事のタイトルから一般化していったとされる。

 心の闇 Kokoro no Yamiより

 私は心の闇を言葉にして使うとき、そういう犯人の心や動機がわからないとして使っていたが、先の秋葉原通り魔事件でそれは大きな間違いだと気づいた。

 ――心の闇の正体、それは自分達とは違うと思いたがる私達の意識だとわかったのだ。

心の闇のない殺人事件

 この度の事件は『心の闇』というものがなかった。それは加藤智大容疑者が立てたケータイ電子掲示板にあった。

 あらゆるニュースやブロガー達はその掲示板から、彼が凶行へと至った経緯はこれではないのか、と取り上げた。そのため、心の闇という言葉が取り上げられる記事はあまり見受けなかった。

 私の中で彼に対して心の闇がないな、と思った瞬間、彼が心の闇を持っているとしたがっている自分にこそ、心の闇を持っているのかもしれないと気づいた。

 自分達とは違うと認識することでヒトではない、あたかも自分達と違う人種とすることで安心し、あの犯罪者にはなりたくないという犯罪抑止力が働いていた。――心の闇という言葉で犯罪者と区別することで、彼と私とは絶対的に違うと、自分を安心させたがったのだ。

 そう、心の闇とは、相手を受け入れない自分が持つ心の壁だったのだ。

犯罪理解が新たな引き金を引くのか?

 心の闇がないことで、彼の考えを理解するヒトが多い。同情できないが、わかるという理解が存在する。その理解のおかげで、問題の本質がなんとなくだが見えてきてしまった。
 ……私たちから心から闇が晴れてしまったのだ。今までの凶悪犯罪とは絶対的に違うのはこの“理解”なのだ。

 しかしながら、この“理解”こそがこの事件における最大の問題点かもしれない。

 犯罪抑止力でもあった心の闇が私たちの心からなくなったことで、自分が言いたいことは誰かに理解されると思い、第二、第三の加藤智大が出てくるかもしれない。……自分は間違えているが、誰かが自分の間違いを理解してくれると信じて、凶悪犯罪へと手を染める劇場型犯罪の増加が増える可能性もある。

 ――私達は犯罪の本質を理解すべきなのか? 犯罪者の心を理解できないと受け入れない方がよかったのか?

 いや、受け入れるべきだ。受け入れなければならない。今まで遠ざけてきた社会にも責任があるのだ。

心の闇があると思うな、そもそもそう思うこと自体が間違いなんだ

 心の闇は自分達が持つ、相手を受け入れない区別する意識だとわかった。だが、この闇がなくなったおかげで今まで見えなかったホントの問題点が見えた。その答えは皮肉にも加藤智大のケータイ電子掲示板にあった。まとめサイトはこちらへ

 根本的にある問題を解決しなければ、凶悪犯罪は増加することは間違いない。しかし、マスコミや政府は根本的な問題から目をそらせ続けた。その理由はわかる。が、もはやその弁解では通じないところまで来てしまった。――ここが日本の転換期なのだ。

 さて、どんな方法で凶悪犯罪を食い止めるのか? 淵源たる根っこが見えてしまった今、逃げ切ることはできない。

 それでも逃げるのならば、この社会は根っこ以外の場所を掘り続けるマヌケな国だと言われ続けるだろう。掘り続ける土(ミスリード)がなくなったとき、根っこは倒れることも知っているはずだ。
 ……もう無視はできない、日本そのものが試されると言っても過言ではない。

 ――そう今こそ、心の闇を持つ社会こそが私たちを理解すべきなのだ。