子供達が作り上げたネットの宝物がなくなる悪法・ケータイ規正法

ネット小説家が見て、この教育再生政策について

 ネット小説家が判定、0点、教育衰退政策です。フィルタリングされているブレインじゃここまでの議論しか出さないのでしょうか? デジタルデバイドステレオタイプが打ち出した稚拙な答えというしか言えません。いわゆる感情論です。


 ケータイがなくなれば、外に出歩く小中学生は増えるのは間違いありませんし、ホントに見えないイジメが出てきます。ネットは見えていたイジメ、現実は見えないイジメだということに気づいたのでしょうか? 教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾長)その点について、ちゃんと有識者と意見交換したのか? 意見書の中にケータイがなくなることが出てくるメリットとデメリットについて話してほしいです。

私がそこまで言いたいわけは“書き手”だから。

 簡単に言いますと、書き手として、誰かが努力をした物を壊すことを許せない、ただそれだけです。

 ネットで悪く言われるケータイ小説も、経験が未熟な彼らが生み出した、とても大切なもの、だと考えています。ただ書くというにはあまりにも未熟で、ただ願望だけが突出している自己満足なものですが、それでも彼らが今まで生きてきた経験と知識で駆使した、努力の結晶、と言えます。

 ブログもそうです。小中学生でケータイから親には内緒でブログを書いているヒトが多く、それでコミュニケーションを取っています。部活の話、勉強の話、友達の話などなど、小中学生中心のブログやネットサイトを見れば、そういうのがいっぱいあります。
 何もすべてネットにあるものすべてがイジメに利用されてる道具だと思わないでください。例え、つまらないことを書いているグチブログも自分を映し出した鏡です。誇りなのです。
 自分を認識することができる、アイデンティティ、書き手であるブロガーもまた、子供達にもネットで何かを書く自由を認めるべきです。(ま、ブログを書いてすぐ飽きた方が多いと思いますけど、一応、続けてがんばっている子もいます)

大の“大人”が“子供”の夢を殺すな。

 日本教育再生機構は子供達の努力をつぶそうとしています。

 この『再生』は『破壊』です。草根を根絶やしにするものです。子供が自分で書いた大切なアルバムを、国が食いつくそうとしているのです。

 後から見て、黒歴史ブログだ、はずいな、つまらないこと書いたな、と笑える心を奪おうとしています。言うなれば、あなたの宝物を、親でもないヒトに処分されようとしています。それはいらないものとして。

 それでいいですか? 国は自由に書いたラクガキノートを破ろうとしています。しかも、それは紙でなく、データだからとても静かなものです。

 ……ビリビリと引き裂いた音は立たず、静かに散っていく思い出のページ、そう、削除という現実が、今、私たちの目の前で行われようとしています。それも子供が書いたヒミツのブログを。小さな日記を、この国が消します。

 ケータイ自体を悪とみなした日本教育再生機構の罪は重たい。同時に、ネットやケータイの有効利用を知らない日本教育再生機構の無知さには驚かされた。もはやケータイは電話とメールするだけで終わるものではないのだ。

 このままだと、確実に、日本の子供達の未来を奪います。日本教育再生機構はもっと議論を重ねましょう。国のためじゃなく、これからの子供達のために。