積み木崩しできるブログこそが面白いはずだ(?)

ブログは積み木みたいなものだが、崩すことはできない。

 ここに一つのつみき(レゴブロック)があるとする。このつみきから何かを作ろうと思い、積み立てていく。しかしながら、そのつみきの完成図はあまりにもぼんやりとしていて、自分がどんなつみきを組み立てたいかはっきりしない。それでも、つみきを重ねていけば、きっと何かがあると楽観的に信じ、そしてまたつみきを重ねていく。

 
 ブログもそれに似ている。ブログを書こうとして開設しても何を書こうかわからない。とりあえず、自分の趣味や日記を書いて、エントリーさせていく。
 ブログをただ書いてもつまらない、そこで色々なことをしようと考える。目的ができた。ブログでお金儲けできるというマユツバを信じてアフィリエイトに手を出したり、ニュースやエンタメ情報に対して自分なりの意見を出したりして、ブログは豊富になっていく。
 段々と多くエントリーしていく記事の数に喜び、自分なりの城ができていくと、少しうれしい。しかもそのブログへとアクセスするネットユーザーがいると考えると、感極まる思いであり、彼らのためにもがんばろうと努力したくなるものだ。
 
 そんなとき、自分の城へと攻め込む輩が出てくる。それはたまたまエントリーしていた記事が問題となったものだ。それに対してネットユーザーたちが苦言を呈したり、茶化したし、いつかブログ炎上と呼ばれるものへと発展する。……積み木崩しの始まりだ。
 
 本来、積み木崩しはある程度までつみきを重ねて、急にそのつみきを自分で衝動的に壊したくなることをさす。それは自分の思い通りにつみきが重ならなくなったか、またはその完成した積み木の壊した姿を見たくなって壊すものだ。
 
 ブログでいうところの積み木崩しは自分で壊すよりも、何かがきっかけで閉鎖するケースが多い。例えば、何時間をかけて書いたエントリー記事が見知らぬ匿名者のコメントによって傷つき、しかもそのコメントに賛同するネットイナゴが集まっていく。
 ――期待していたものとは違い、なんでこんなものを書いていたのかなと、ふと、ニヒリズムになる。自分の城が砂上の楼閣であると、ネガティブにそう思い込みたくなる。すると、今まで書いてきた物が自分にとって価値のないものへと変わり、もうこのブログでやっていける自信がなくなる。
 
 ――そして、ブロガーはある決断を下す。……閉鎖だ。
 
 閉鎖することで自分が建立させたブログから逃げる。本当は削除したいところだが、削除するのはもったいないと思い、ネットの海へと浮かばせる。ネットイナゴ(コメント)に食いつぶされたブログの痕跡を残して。
 自分から切り離した閉鎖ブログ、それは、つみきを積み重ねるのをやめるのと似ている。ただ少し違うのは自分で壊す(消す)ことはなく、その原型を残したことだ。
 

積み木崩しできないブロガー

 
 積み木とブログの違いっていうのは、ずっと残せることだ。積み木は場所を取り、かつ、脆いのでいつか崩さないといけないが、ブログはそんなことはないのだ。
 また、アニメやゲームは積み木(世界観)が崩されるところを楽しむが、ブログだと積み木を積み重ねるところを楽しむ。ブロガーは自分のブログを崩すことを楽しむ者はいないと言ってもいい。起承転結でいうところの、“転”を書くブログはなかなか見かけないものだ。
 しかしながら、ブログを見るユーザーにとっては積み木を崩れていく(今までの価値観が壊れることや、コメントでブロガーがゆさぶることなど)ところが面白いと感じる。やはり、何かを壊してくれる書き手こそが刺激的な人材なのだ。
 この積み木崩しこそが次のアルファブロガーに求められているセンスではないのだろうか? ネットイナゴによって食いつかれたモノは実のところ、オイシイブログ記事だったのではないだろうか? 虫が食い散らした部分ほど、“オイシイ”というものだ。
 ネガコメで傷ついた、中傷されてブログを止める。理解できるセンチメンタルだ。それで一時期、ブログを止めたくなる。しかし、それがオイシイと発想を転換すれば、どうだろうか? これが人を集まる記事だったんだと思えば、少しはポジティブになれるはずだ。(その代わり、その人間の目的が見えてくるのは苦しい。特にそれがエッチ関係だったりしたら、なんかもう絶望する)

積み木崩しの手法

 では、積み木崩しという手法はどういうものか? 簡単なことだ。まじめなブログでギャグを入れたり、アニメやゲームを話しているブログで急にリアルな話を入れることのもそうだ。逆に、日ごろふざけているブログが延々とまともなことを語るのも、その一つだ。要は読み手の裏切りこそがイメージの積み木崩しだ。
 また、このブログは夏の間にしか公開しない旬を売り物にしたブログや、友人と認定した人しか入れない許可型ブログなど、読み手に制限を加えるのもその一つと言えよう。とはいえ、この手法はある程度、ユニークユーザーを確保しているブロガーにしかオススメできない。その理由はそのブログが持つイメージを壊さないといけないので、ある程度まで足を運んでくれるユーザーにしか通用しないからだ。

どうせなら最後は積み木を崩そう

 このブログ記事はネット型マガジンサイト、gigazineの『日本のブログ総数は約1690万、記事総数は約13億5000万件、データ総量は42テラバイト』から触発されて書いたものです。

 2008年1月時点で日本国内のブログ総数は約1690万、記事総数はは約13億5000万件、データ総量は42テラバイトに達しているとのこと。このうち、テキスト(文字)のみで計算すると約12テラバイトとなり、書籍1冊当たりのデータ量を457キロバイトとして換算すると、なんと書籍約2700万冊分に相当するそうです。
 1ヶ月に1回以上記事が更新されているアクティブなブログは全体の2割弱で約300万。さらに、毎月新たに開設されるブログ数は毎月40万〜50万程度で推移しており、活発な情報発信が続いていることが明らかになったようです。

 全体の約8割は更新をやめたブログ(一ヶ月に1回以下)というわけです。およそ1200万サイトのブログがするのをやめた、そのままにしたわけです。
 でも、なんかもったいない。どうせなら最後ぐらいテーマを今までのエントリーとは違う方向と転がして、有終の美を飾って終わって欲しいなという発想から、積み木崩しをテーマとしたブログを書かせてもらいました。